TOP > 糸魚川市 > “中途半端”こそが“自分らしさ”の入り口だった、「キャリアステージいといがわ」弥栄 育代(みえ いくよ)さんの私らしい働き方

“中途半端”こそが“自分らしさ”の入り口だった、「キャリアステージいといがわ」弥栄 育代(みえ いくよ)さんの私らしい働き方

2024年2月2日

  • #地域ワーカーインタビュー
  • #地域共創WORK SHARE PROJECT

「女性が家族を持ち、子育てをしながら働くには、何かを犠牲にせざるを得ないと思っていました。私の場合は不妊治療と仕事の両立が難しく、自分らしく働くことを諦めそうになった時期も。でも今となっては、“中途半端な働き方”こそが“自分らしい働き方”の入り口だったのだと思います」

そう柔らかな笑顔で話してくれたのは、『一般社団法人キャリアステージいといがわ』のワーカーとして働く弥栄 育代さんです。

『一般社団法人キャリアステージいといがわ』とは、新潟県の最西端に位置する糸魚川市(いといがわし)に誕生した行政支援型の団体です。多様な働き方の推進事業として、子育てや家族の介護など、何らかの事情により働きたくても働けない女性に向けてワーカー育成と就労環境の整備を行っています。

「息子が大きくなったとき『仕事は辛いことじゃない』と思ってもらえるような親でありたいです」

ワクワクする未来を見据えながら、働ける喜びを噛(か)みしめる弥栄さん。ここに至るまでには、壁にぶつかりながらも“自分らしく働く”ことを諦めずに模索しつづけた確かな歩みがありました。

東京で就職、結婚、不妊治療、糸魚川へUターン、出産、子育て、と20代〜30代を駆け抜けた彼女が思い描く「自分らしい働き方」とは。

東京でコールセンターの仕事を経験。人のサポートがしたい

新潟県糸魚川市出身の弥栄さん。進学で上京したことをきっかけに、新卒でそのまま東京のコールセンターの企業に就職しました。ファーストキャリアを選ぶにあたって、当時はどのような想いがあったのでしょうか

「明確にやりたいこともなかったため、選択肢の多い東京に残ってじっくりキャリアを積んでいくのがいいかなと思っていました。糸魚川へ帰るのは、結婚して子どもを産んで、もっと年をとってからになるんだろうなと漠然とした未来を描いていましたね」

「コールセンターの仕事を選んだのは、一対一でじっくりコミュニケーションを取ることが苦手ではなかったのと『目の前で困っている人の助けになりたい』という小さな想いが種となり、人をサポートする業務ならできるかもと入社を決めました」

実際に働いてみると、学生の頃にはわからなかった仕事の厳しさと喜びを知ることに。やりがいと自分が大切にしたい価値観、そして会社から求められることとのギャップにもがいた時期もあったと言います。

「人に寄り添いながら、想いを込めて仕事をしたい。そう思う一方で、会社からは生産性や数字を常に求められていました。大事なことと理解しつつも、そればかりを気にしているとどんどんプレッシャーになってしまって。自信がなくなってしまったんです」

「幸いじっくり育成してくれる企業だったので、『社内業務をサポートする事務の仕事もやってみないか』と業務変更を提案してくれて。実際にやってみると思った以上に、しっくりきたんです。自分の居場所ができた喜びがありました。縁の下の力持ちというか、やはり目の前の人をサポートすることが好きなのかもしれないですね。そこから自信がついて、コールセンター業務もしつつ、新人の育成指導も任されるように。自分のペースを尊重してもらいながらステップアップできたことに感謝しています」

女性の働き方のロールモデルが少ない。仕事と不妊治療の両立

少しずつできることが増え仕事に自信がついてきた一方「このままずっと同じ働き方ができるのだろうか?」という不安と疑問が頭をよぎったと言います。

「会社の中で女性の働き方のロールモデルが少なく、自分の将来を描きにくかったのを覚えています。特に子育てをしている正社員の女性上司や先輩は、本当に大変そうでした。通勤時間が長くなることと引き換えに、郊外の実家の近くに住んで協力を得ながら子育てをしている人。フルタイムで働きながら睡眠時間を削って、体力勝負で子育てをする人。正社員として共働きで働き続けられるイメージが湧きませんでした」

「自分には仕事と家庭の両立はできないかも……」そう思いながら、女性社員の背中を眺めていたという弥栄さん。そして旦那さんとの結婚をきっかけに、働き方について真剣に向き合い始めたと言います。

「子どもを授かりたいと、不妊治療をすることに決めたんです。その頃は転職をして、フルタイムの派遣社員として働いていました。ただ不妊治療と仕事の両立が心身ともにしんどくて。不定期で終わりの見えない通院、慢性的な体調不良、精神的に不安やストレスが溜まることもありました。そうするとどうしても仕事を休みがちになってしまって。決められた日数や業務をこなせない自分がもどかしく落ち込むことも多かったですね。自分で自分を縛っていたように思います」

不妊治療という理由ならではの苦しさもあったと打ち明けてくれました。

「子どもを必ず授かれる保証はないですし、そういう意味では終わりのない治療です。職場の人に『不妊治療をしている』と言うことにも抵抗があったり。打ち明けられたとしても、欠勤や早退をする度に職場の人に“頭を下げて”お願いしなければならなく、だんだんと辛くなってしまいました。職場の上司は治療についてとても理解を示してくれましたし他の同僚もみんな良い人ばかりでしたが、周りにどう思われているのか気になってしまっていました」

「小さい子どもがいたり介護が必要な両親がいたり、外から見えやすい事情ではないので助けを求めづらい気持ちもありました。症状は人それぞれですし一概には言えませんが、私の場合はフルタイムで働きつづけることがベストではないと判断しました」

「ただあくまでも不妊治療は、キャリアを考える上でのきっかけでしかなく、決断できたのは『多様な働き方の選択肢』を知れたことが大きかったように思います。必ずしもフルタイム勤務でなくても、やりがいや責任感を持って働く同僚や先輩をたくさん見てきました。そうした経緯もあり、自分にとってのベストをじっくり考えられたように思いますね」

糸魚川へUターン!「キャリアステージいといがわ」との出会い

その後は、不妊治療に専念したり、お休みを挟んだり、合間にプールのインストラクターのアルバイトをしたりと、自分に無理のないペースで過ごしていたという弥栄さん。思うようにいかないもどかしさはあれど、東京で「多様な働き方の選択肢」を知れたことで焦らず前を向きつつあったと言います。そんな矢先、旦那さんの転勤で糸魚川へUターンをすることに。

「まさか、このタイミングで糸魚川へ帰ると思っていなかったので驚きました。もちろん楽しみではあったのですが、正直不安の方が大きかったですね」

何より不安だったのが「働き方」だったと振り返ります。

「やはり都心に比べると求人も少ないですし、働き方が選べる会社も少ない。そうなったとき再びぶち当たった壁が、仕事と不妊治療との両立でした。糸魚川で不妊治療を再開しようと思ったとき、『通院や体調を鑑みて調整できる仕事なんてないよなぁ……』と半ば諦めていましたね」

そんなとき目に留まったのが『一般社団法人 キャリアステージいといがわ』だったと言います。
最初はどんな働き方や仕事をする団体なのか知らずに、ひとまず情報収集しに行こうと「テレワーカー養成講座」に足を運んでみることに。そこで言われた思わぬ一言が、弥栄さんを“自分らしい働き方”へと導いていきます。

「キャリアステージいといがわ代表理事の下越(しもこし)さんと面談をさせてもらったとき『大丈夫、大丈夫!働けるよ!』と言われたんです。『急にお休みを取るかもしれないです』『どれくらい働けるかまだわからないです』と、伝えたんですが『でも働ける日もあるんでしょ?』と言ってもらえて。正直、びっくりしました。本当にそんなことできるのかな?と半信半疑でしたが、挑戦してみることにしたのです」

助け合うことで、お互いの「自分らしい働き方」は実現できる

実際に『キャリアステージいといがわ』で働き始めてから「仕事がすごく楽しい!」と嬉しそうに話す弥栄さん。具体的にどのような変化があったのでしょう。

「事前にシフトを提出して働ける日を調整できるので、問題なく不妊治療と仕事の両立ができました。事前にシフトを出すためわざわざ『休みます』と言う必要もなく、もっと言うと「詳細な休む理由」を伝えずに済む。当初、不妊治療を公にすることに抵抗があった私にとって、それだけでもかなり精神的に楽になりました」

「また仕事内容がコールセンターを中心とした業務だったのも嬉しかったです。これまでのキャリアを振り返ると、何も積み上げられていないような気もしていたので『自分にもできることがある、経験してきたことは無駄じゃないんだ』と自信を取り戻すことができました」

フルタイム勤務だと「自分だけ休んでしまって申し訳ない、不妊治療を理由に休みづらい」というストレスを少なからず抱えていたこともあり、時間に融通の効く働き方は弥栄さんにとって理想だったと言います。

「空いた時間を有効活用して働けるのも嬉しいです。午前中はクリニックに通院し、午後から出勤する。といったこともできるので、働きたい気持ちを抑えずに仕事に打ち込むことができました」

ふと周りを見ると、自分と同じようにキャリアに葛藤を抱えながらも自分らしく働くことを諦めずにいるワーカーさんばかりだったと言います。

「子育てや介護など、いろんな理由でフルタイムでは働けない女性が集まっているため、助け合いの精神が前提にあるんですよね。誰かがどうしてもシフトに入れない日は、私が代わりに入ったり。逆に自分が助けてほしいときは、必ず誰かが手を貸してくれる。これまでに経験したことのない居心地の良さがありました」

助け合うことで、お互いの「自分らしい働き方」が実現できる。だんだんと仲間の存在が、働く楽しみにつながっていったと言います。

「『キャリアステージいといがわ』で働き始めてからはストレスも減って、自分らしさを取り戻せたように思います。ワーカー同士で話し合いながら仕事を遂行したり目標に向かって力を合わせたり、人とのつながりが充足感をもたらしてくれました。そしてそう思っているのは私だけではないんじゃないかな。みんな働きたくても働けない時期があったからこそ、仕事の喜びを実感してイキイキしていますよ」

だからこそ、自分たちの手で働きやすい環境を守ろうという意識が、ワーカーの中に自然と芽生えていると言います。

「こんな職場があったらいいなと思う理想の環境だからこそ、糸魚川で『キャリアステージいといがわ』を存続させていきたい。そのためにはお客様から信頼される仕事をし続けることが必要です。個人のスキルアップはもちろん、みんなで新しいことにチャレンジしたり、業務改善に取り組んだり、試行錯誤している最中です。ここが好きだからこそ『もっとこうしたら良くなるのでは?』というアイデアが自然と浮かんでくる。楽しく働けている、何よりの証拠かもしれませんね」

働きつづけるために何かを諦めなくていい。
欲張っていい

朗らかに笑う弥栄さんは、2023年に念願だったお子さんを出産。現在は育児に専念しつつも「息子が大きくなったとき『仕事は辛いことじゃない』と思ってもらえるような親でありたいです」と、子育てと仕事の両立にかける想いも語ってくれました。

「迷いや不安がなくなったわけではないけれど、『キャリアステージいといがわ』にはロールモデルとなる多様な女性が在籍しているので、なんとかなる!と思えています。子育てと仕事の両立はもちろん、ダブルワークや、趣味のハンドメイド教室に力を注いでいる人など。それぞれ自分らしさを発揮して働きつづけている人ばかりなので勇気をもらえますね」

都会では得られなかった女性の働き方のロールモデル。今ではここ糸魚川で、安心感を持って今後のキャリアを考えられているようです。

「こんな中途半端な働き方じゃ、責任のある仕事は任せてもらえないだろう。やりがいを感じながら働くのは難しいだろう。そう自分のキャリアを諦めていました。でも『キャリアステージいといがわ』に出会って、働きつづけるために何かを犠牲にしなくてもいい。もっと欲張ってもいいんだ、と考え方が柔軟になったように思います」

少し立ち止まれる「港」のような場所に『一般社団法人 キャリアステージいといがわ』がなっていけたら────。そう話す弥栄さんは、これからも周りの人の手を借りながら、困っている人に手を差し伸べながら、「自分らしい働き方」を諦めずに欲しい未来を手繰り寄せていくのでしょう。

取材・執筆/撮影:貝津美里
撮影場所:クラブハウス美山